垣根涼介『迷子の王様―君たちに明日はない 5―』

迷い続け、悩み抜いたからこそ、やって来る明日がある。大ヒットシリーズ、堂々完結!

垣根涼介『迷子の王様―君たちに明日はない5―』

あなたにとって、仕事とは何ですか?

凄腕リストラ請負人・村上真介が今回ターゲットにするのは、大手家電メーカー、老舗化粧品ブランド、地域密着型の書店チェーン……そして、ついには真介自身!? 逆境の中でこそ見えてくる仕事の価値・働く意味を問い、絶大な支持を得るお仕事小説、堂々完結!

2016.10.28 新潮社 文庫本 594円
2014.5.22 新潮社 単行本 1,512円

あなたにとって、仕事とは何ですか?

あなたにとって、仕事とは何ですか?

 さて、この『君たちに明日はない』シリーズを書き始めたそもそもの動機は、これから先も日本の経済は、かつての『昭和』のような右肩上がりの高度経済成長の状態が復活してくることはないだろうと感じていたことから始まります。これは、十数年前にこのシリーズを連載し始めた時も、最初の一巻目が出て十年が経った今でも、相変わらずそう感じていることでもあります。

 むろん私もそうなって欲しいと思っているわけではなく、出来れば「強い日本経済」が復活するのに越したことはない……しかし、今後の様々な社会的要因を考えるに、おそらくはそういう方向に日本がもう一度向かうことは難しいのではないのか、と……。

 その最も大きな理由は、今後も日本の人口は減り続けることがほぼ間違いないと予測されており、当然それによる内需の拡大が見込めないからです(一部の、輸出で稼ぐ巨大メーカーとその社員は除きます)。それと同時に年金制度も、私たちがそれを支払い始めた当初の前提(その支給開始時期や支給内用)が大きく変わり始めています。

 この人口減による内需の減少はすでに1990年代の当初には、普通に考えても易々と予想出来たことであり、それを分かりながら放置していた政治家や官僚の怠慢・無責任さを論(あげつら)うことも出来るでしょう。

 しかし私の論点はそこにはありません。『犯人探し』などに意味はありませんし、そもそも国と言うものが国民の投票により政治活動、あるいは働くということにより経済活動に参加することで成り立っている以上、具体的な『犯人』など、いくら捜しても出てこないものだと感じます。つまり、責任の一部は常に私たちの一人一人にもある。

 では、こういう社会状況や経済状況を踏まえた上で、じゃあ私たち個人は今後、どういうふうに生きていくのか──これが本日のお題であり、前述の『君たちに明日はない』のシリーズを書き始めた動機でもあります。

 結局のところ、主人公の村上真介は、本人が意識せずとも、常にリストラ対象者に問いかけ続けている。

「あなたにとって、仕事とは何ですか?」と。

 これが、このシリーズのテーマとして書き続けてきたものです。

 金のためか、個人の生活の安定・保障のためか、出世のためか、あるいは『大企業に勤めている』という社会的な見栄え、あるいは安心を買うためか、そういう意味を含めて個人的な金銭的・社会的な栄華を目指しているのか……ですが、日本の経済がダインサイジングを余儀なくされている今、そうした実利面だけの動機付けで仕事をするは、その時々の社会情勢や企業の業績によって賽の目がコロコロと変わるリスキーな生き方ではないかと個人的には感じています。

 私の友人や知り合いの人生を長いスパンで見続けきて、しばしば感じる事は、

「金儲けのためだけに仕事をしている人間は、大体の場合、いつかその金に足元を掬われる」と言うことです。

 あるいは、こう言ってもいいかも知れません。

「その仕事に自分なりの意味や社会的な必然を感じている人間には、お金が目的で仕事をしていなくても、不思議と必ず後からお金がついてくる。少なくとも食うに困らないぐらいは、常に彼あるいは彼女の元に集まってくる」と言う事実です。

 あるいは楽観的に過ぎる見解かもしれません。しかしでは、この社会の現状でどう生きていくか?──。

 私自身が仕事について深く考えるようになったのは、今のモノ書きになってからです。そして今思うのは、やっぱり「カネ」のためだけに続けるのは、仕事はツラい、ということです。この二十年間で日本の経済はどんどん悪くなっているし、前述した通り、残念ながらこの先も明るいとは言えません。テレビや雑誌も「悲惨な実態」とか「将来は絶望的」とか大袈裟な見出しをつけて悲壮感を煽ろうとします。けれども、それは給料や昇進などの待遇や、その会社のブランドイメージが悪くなっているというだけで、本来の仕事の楽しさ、それを自分がやる意味とは、おのずと別の話なのではないでしょうか。

 私の大学時代の友人の話ですが、ボランティア活動をしながら十年前の当時、月収五万円で『優雅』に暮らしていた奴がいました(当然、今の収入はうんと増えていますが・笑)。その彼が言うには、「今を楽しめない人は、将来も楽しめないよ」──本当にその通りだと思います。自分の興味が持てることを探して、それを仕事にする。あるいは、その仕事を通じて社会に参加する意味を持てるような自分を、自分の周囲の環境から作り上げていく。そうすれば、とりあえずは食うだけのお金があれば、納得もできるし厳しい現状にも耐えられるのではないか。なによりも現行の『あと出しジャンケン』同然の年金制度などに完全に頼らずとも、死ぬまでその仕事を続けてもいいや、と思えるかもしれません。

 いや……それ以前に、現政府が躍起になって進めているインフレ政策は、景気回復の側面もあるにはありますが、それ以上に、国家の赤字を実質的に圧縮していく側面も大いにあるではないか……ついそんなふうに考えてしまいます。

 ちょうど、「借金苦の人がハイパーインフレを望む」構図と同じであるように思えます。そうでなければ1000兆円以上にものぼる借金は、今の物価のままでは到底返済できない。つまりは1000兆円が、いつの時期にか300兆とか100兆までの実質的な価値に下がるようなインフレ政策……ということは、年金も当然、支給される額は同じでも、その時の日本銀行券の価値は目減りする。現在で仮に20万支給の価値が、将来的には6万とか2万ぐらいの価値しか持たないということなります。ですが、そうならなければ国家財政は最悪の場合破綻して、日本銀行券は紙屑同然になってしまう可能性も消しきれません。

 え? それ以前に国が財政を立て直すかも知れない?

 うーん……無理だと感じますね。官僚体制はその本来の性質上、国家の滅亡が来ない限り、膨張と増殖を続けるものです。当然、その支出も現在の国体が維持されている限りは増え続ける。国の経済規模はシュリンクしても、官僚組織全体の規模は決してダウンサイジングしない。それが良いとか悪いとかの話ではなく、今までの世界の歴史が証明しているように思います。ちなみに平成二十六年度の一般会計予算は、96兆円……その半分は借金で賄っているというのに、今もどんどん膨張を続けているのが現状です。

 さらに言えば、かつて国や地方が手がけた(民間にも出来る)事業は、第三セクターの例を引くまでもなく、そのほとんどが破綻しています。はっきりと言いますが、自分のリスクにおいてお金を捻出していない(あるいはそのケツ持ちの覚悟がない)人間のやる事業など、そもそも成功する確率はほとんどない。しょせんは他人から税金で掻き集めてきたお金を流用して始めた、「他人事の事業」なのですから。

 そう考えてくれば、やはり今のところ、そんな国のやっている年金制度などは補助的にしか当てにできませんよね……皆さんも義務だから払っているでしょうが……。

 結局のところ、このような不透明極まりない現状に対する一番の予防策は、死ぬまで継続しても納得できるような仕事を見つける、あるいはその第二の人生に合わせた環境づくりを自ら行い、社会参加をしていく。そして、あくまでもその結果として物価スライドに合わせた日銭を得ることが、そのような繋がりを相互に持つことが、個人個人の最も安心できるセイフティーネットに繋がるのではないのでしょうか。

 そういう人間が今後もっと増えたら、不景気とか年金削減とか国民の人口減とかの問題以前に、もう少しは、みんなが明るい顔をして歩けるような世の中になるんじゃないかな?と思っています。

 もし国や現行制度を不安に思うのなら、個人個人でなんとか遣り繰りしていこう、自分でできる事(主に仕事)を探し、または作ろう、そして選挙に行こう、という話です。

 少なくとも私は、死ぬまで働き続けていくつもりです。また、この気持ちに関して悲壮感も感慨も特にありません。ただ、「そっちのほうがいいだろうなあ。かえって自分は安心できるだろうなあ」と思っているだけです。

 逆に言えば、そういう仕事や生き方を、個々人が今それぞれの目の前にある現状の中で自覚的に立ち上げてゆくしか、今後の(万が一の)社会情勢に備える有効な手段はない。少なくとも将来に対して、それくらいの気構えは心がけておいたほうがいいのではないか……。

 さらには──そうした社会情勢や年金問題以前に、これが最も言いたかったことなのですけど──人の幸せというものには様々なカタチがあると思っておりますが、

『一生現役として、そこそこ楽しく(経済的に自立しながら)仕事を続ける。あるいは一生、人から求められている仕事あるいは社会活動を通して、この人の世に参加を出来る状況にある』

 ということも、幸せの一つの形である。

 そういうふうに私は感じています。

 そして、そんな様々なことを考えさせてくれた『君たちに明日はない』のシリーズを書くことは、私にとってもけっこうな救いでした。日常では愚かでダメ人間の私ですが、この小説を書いている時は、仕事をする意味というものを真剣に考えさせられることが多々ありました。一話ぶんの話を作るために実際にその業界にいる人に取材し、その取材を小説として起こす度に、自分の中に何事かの発見があり、それによって私の仕事観や社会観もまた変容していく……。十年間ずっと「仕事とは何か?」を考え続けてきた意味は、今後の私にとっても大きな指針になると思っています。できれば読者の皆さんにとっても、そうであって欲しい。

 ですが、そうやって色々と考えてきた仕事観や社会観も、結局は現時点での通過点でしかないのだろうと感じています。次のステージに行けば、これまでの考え方や手段が通用しなくなって、また自分をリストラ(再構築)していかなくてはならない……それが、生きていくということなのでしょう。

 まあ、そんなことを思いながらも、それでも君たちに明日はあるし、私にも明日はある。

 たぶん心がけてさえ行けば、それなりに明るい未来が(笑)。

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