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蜻蛉(かげろう)の夏
なぜ我らは生きるのか。それは、天から与えられるものなのか。
命を削り今を生きる「止観の道士」たち
織田信長が上洛後、着々と天下統一に向けて歩みを進めていた元亀元年、京の町で三人の「止観の道士」たちの運命が交錯する。現実と幻想の間で揺れる自己矛盾、その道士という生き方に喘ぎながらも、厳しい修行の末に彼らが得た止観の力は、その後の織田家との戦いに大きな影響を与えていく。
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単行本
小学館
2,200円(税込)
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以前からのリクエストに応えて。
早いもので、作家としてデビューしてから今年で二十五年が経ちました。
幸いにも皆さんのおかげで、特に食うに困ることもなく、小説の題材も、その時々に好きなものを好きなだけ書いてこられた次第です。
デビュー当初の頃は、犯罪小説ばかりを執筆していました。刑事や体制側から見た犯罪者より、その犯罪者の視点から見た社会構造の矛盾や怒り、システムから零れ落ちてゆく者の絶望や狂気、わずかな希望にフォーカスしたかったからです。
次に、勤め人の「お仕事小説」を書きました。自らがクビになるかも知れない極限状態の中で、個々人が仕事を通して生きる意味を、改めて炙り出したかったのです。
この十五年ほどは、ご存じのとおり歴史小説ばかりを書いてきました。歴史上の人物を、自分なりの視座で描きたかった。例えば『信長の原理』は、織田信長という人物を、「構造主義」という思想の枠組みを使って描いてみました。
けれど、私も本の印税で食べている立場ですから、読者の皆さんの声はそれなりに気にしています。そして、そんな読者からの感想で、この十年ほどで最も多かったのが、「今の、人物主体の歴史小説もいいけれど、昔の『ヒート アイランド』や『ワイルド・ソウル』みたいな、ヒリヒリするような小説もまた読みたい」というものでした。
二十年以上も前に書いた犯罪小説です。なのに、今でも根強いリクエストがある。ということは、ここに、私の作家として求められる資質が未だに存在するのでしょう。
だから、その要望に、一度は意識的に応えたかった。拙著を長年読み続けてくれた読者への、感謝の気持ちもあります。
そのようなわけで今回、『蜻蛉の夏』を上梓します。
「止観の道士」という、歴史の裏街道を孤独に歩いてきた者たちが乱世で暗躍する、ある種のアウトロー小説です。
彼らが操る幻術は、(その一部は)本当に実在していました。ですが、現実を精神で凌駕しようとする道士の生き様は、当然のように合理に反します。そんな彼らの、決して癒されることのない「生」への渇きを描きました。
そして単行本化に伴い、当初は1700枚ほどあった週刊誌での連載原稿を約1200枚まで圧縮し、ソリッド感を追求しました。
宜しければご一読ください。