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涅槃
商家と尼寺で育った異色の武将、宇喜多直家。
死後440年、汚名を背負い続けたその孤独な生涯を、浮き彫りにする。
滅んだ武門の嫡男として物心が付いた宇喜多直家。むろん大人になるまで、武士としての正規の教育も受けていない。やがて彼は、宇喜多家を滅ぼした武門に仕えることになり、その後、ほぼ徒手空拳で備前(岡山県)の二十万石を有する自立した戦国大名になる。
が、その頃には西からは毛利家と、東からは織田家の巨大勢力が迫って来ていた。現代と同様、シュリンクし続ける国内市場の中で、直家の孤独な戦いが始まる。織田家と毛利家を手玉に取りながら、「大勝ちを夢見る生き方」よりも、「負けない戦」を死ぬまで繰り広げていく。
歴史は、常に勝者の都合によって捏造され、喧伝される。敗者は、彼岸にて沈黙するのみである。
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縮みゆく日本と、乖離する世界−
今回の単行本『涅槃(上・下)』は、宇喜多直家という歴史上の人物が主人公です。「戦国史上最悪の武将」と呼ばれた男の、一生涯を描きました。週刊朝日での連載開始から脱稿するまでに、原稿用紙換算で1800枚ほどになり、なんだかんだで三年半かかってしまいました(汗)。
さて。
まずはこの人物を書いた理由に絡んで、少し昔話をしようと思います。
今から三十数年前の、私が大学四年生の時です。
私は言語心理学を細々と専攻していたのですが、その卒論のエビデンスとして、200名(?)ほどに実験を行い、さらにその効果をアンケートとして集計しました。
1988(昭和63)年のことで、時あたかもバブルの絶頂期に差し掛かろうかという頃でした。日本企業の株価の時価総額はアメリカのそれを抜いて世界一になり、確か、「東京都の土地を売るだけで、アメリカ全土の土地を余裕で買える」とか言われていた時代でした。
当時の私はふと思うところがあり、そのアンケートの中に、卒論のテーマとは別に、
「これからの日本は良くなりますか」
という漠然とした質問を、最後の項目に書き加えました。
そして集計した結果、なんと九割もの被検者が「良くはならない」、「これからは悪くなっていくだろう」と答えていたのです。その理由も、「良くは分からないが、なんとなくそう思う」、「こんな感じの繁栄がいつまでも続くわけがない」などといった曖昧な答えが殆んどでした。
むろん、彼ら被検者も私と同じように心理学や心身障害学、教育学などを専攻している学生たちですから、経済や政治、世界の動向に詳しい人間ではありません。
それでも今にして思えば、大多数がこのような捉えどころのない不安を、その肌感覚として感じていたのだと感じます。
そして翌年、元号が昭和から平成へと代わり、私は勤め人になりました。
あとのこの国の推移は、皆さんもご存じのとおりです。三十年間の長い平成不況が続き、令和になった現在でも、この構造的な不況は依然として変わっていないように思えます。OECD加盟の先進国の中で、国民所得の中央値が唯一下がり続けているのが、私たちが住むこの日本でもあります。
結局は人口動態の変化により、国内市場がシュリンクし続けていることがその根本問題の一つだと感じていますが、私は単なるモノ書きなので、国の施策云々を声高に叫ぶ立場にはありません。
興味は、そのシュリンクし続ける市場、世界の中で、人々がどうやって懸命に働き、生き残って来たのかにあります。
そこで、この「宇喜多直家」という人物です。彼は滅んだ武門の嫡男として、町家と尼寺で生い立ったという異色な経歴の持ち主です。武士としての正規の教育も受けていません。
そんな逆風だらけの背景を持つ彼が、ほぼ徒手空拳の立場から備前(岡山県)の二十万石ほどを領する武将となった頃には、西には毛利家が、東からは織田家の巨大勢力が迫って来ていました。易々と拡張できる領土など、もはやこの戦国後期にはほとんどなかったのです。シュリンクし続けている市場に直面した、ということです。もはや、攻め滅ぼされる可能性も濃厚にある。
ここから直家は、宇喜多家を後世に存続させるために、「大勝ちを夢見る戦い」よりも「負けない戦い」を延々と強いられることになります。
彼は、織田家と毛利家を手玉に取りながら、最終的には五十七万石ほどの戦国大名に成り上がります。そして次代へと宇喜多家を繋げて、最後には病(おそらくは絶え間ない気苦労による潰瘍性大腸炎)に苦しみながらも、畳の上で大往生します。圧倒的に不利な情勢の中でも、なんとか生き残ったのです。ここに、我ら現代人にも通じる生き方の構えがあるように感じました。
子の秀家の代になり、宇喜多家は関ヶ原の戦いで潰れます。が、毛利家とその系列、織田家(の血筋)も徳川家に残ったこともあり、直家の生き方は後世で散々に悪く書かれてしまいました。あまりにも気の毒です(笑)。悪漢といえば、この直家より織田信長や武田信玄、毛利元就のほうがよほど悪辣、苛烈なことをやってきたと個人的には感じます。
ならば、せめて私だけでもこの宇喜多直家と言う人物の「汚名返上」を多少なりともしてあげようと決意しました。プラス、縮小する現代日本を生きる私たちの何かしらの「引っかかり」になればと思い、書き上げてみた次第です。
なお、この作品は、「光秀の定理」や「信長の原理」のように、ある特定の定理や原理をもって、その人物の栄光と挫折を切り取ってはおりません。ひたすら愚直に、直家の生涯を時系列の順で追っていきました。そんなこともあり、原稿用紙で1800枚もの長編となってしまいました。正直、私も今年で五十五歳ですので、さすがに疲れました。今後はもう、これ以上の長編を書くことはないのではないか、と感じております(苦笑)。
では皆さん、よろしければ是非ご一読ください。
ちなみに来年からは、一年に一作は本を出す予定です。
現在はオール読物にて、足利尊氏の生涯を描いた『極楽征夷大将軍』という小説を、一年半ほど連載し続けております。これまた1200枚ほどのボリュームになりそうです。この小説は、なんとか2022年の夏から秋にかけて刊行できればと考えております。
ではではー。
この長引くコロナ禍ですが、達者な日々をお送りください。