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Vol.070
文学賞あれこれ &『室町無頼』(新潮文庫)発刊に際して思うこと。

2019年1月26日

ついこの前が正月だったと思っていたら、「あっ!」という間に一月も下旬。今年も年初から時が経つのが早いなー、と感じております。

先週の直木賞は受賞には至りませんでしたが、まあ、直木賞に限らず文学賞というものは、ある種の「いただきもの」ですから、無くて元々だと思っております(苦笑)。
ともかくも、今年に入って『信長の原理』も五刷り、文庫版の『光秀の定理』も四刷りと、今も順調に増刷を重ねております。より多くの人に読まれるのは、モノ書きとしては嬉しいことです。

さて、1月29日に『室町無頼』の文庫版(上下巻)が発売になります。都市部の大型書店では、もう今日あたりから店頭に並んでいるかと思います。
以下、この小説に関して、単行本発売当時から二年ほど経って改めて思うことを、つらつらと書き連ねてみます。

私が調べた限りでは、この応仁の乱前夜の京は、(明治維新以前の歴史の中では)貨幣経済が最も発達した社会構造でした。当時の室町幕府自体が、資本がさらなる大きな資本を呼び込むような金融政策を行っていました。
その意味で、私たちが生きる現代と同様、マネー資本主義の一形態だったと言うことです。

下品な言い方をすれば、「銭金を中心に回っている世界」で、「この生き方が、今後の自分にとって有利か不利か、あるいは得か得か」ということを、常に基準に動いている世の中だという事ですね(笑)。

一方で、資本主義社会の良い面は、進学や転職や転居などで、「自らが、自分の生き方を随時に決められる」自由度が、かつての農本主義の世界に対して大きく上がるという点です。

しかし、そのような世界では、人は常に「自己責任が伴う選択の連続」を、否応もなく迫られて生きていくことになります。その時々の結果はすべて、選んだ自分のせいだと追い立てられます。人生の債権と債務と同時に背負いこむような、非常にストレスフルな生き方です(ちなみに、この実相の陥穽に関しては、エーリッヒ・フロムが「自由からの逃走」で、あるいはオルテガ・イ・ガセーが「大衆の反逆」で、深部まで言及しています)。

その上で、自己の生への選択を「今後の自分にとって有利か不利か、あるいは得か得か」という基準だけで繰り返すのは、あまりにも社会の表層を上滑りした、寂しい生き方だな、と私は感じます。ありていに言えば貨幣――特に紙幣という概念自体が、そもそも虚構なのですから。

けれど、こんな基本的な生き方に対する構えさえ、マネー万能主義の現代では、次第に常識から外れつつあると感じます。
そんな思いから、この応仁の乱前夜の京を舞台に、銭金のためにではなく、独自の生き方を立てた人間の話を書いてみようと思った次第です。

思うに、「銭金を中心に回っている世界」だからこそ、逆にそこに寄ることのない基準軸で(つまりはこれが『無頼』ということです・笑)初めてその生を立てられる人間のみが、揺るぎない生き方を確立でき、結果として不思議と食うにも困らず、最終的には納得のいく人生を送ることが出来ると(少なくとも私は)考えます。

ですがまあ、そのようなテーマを据えながらも、とことんエンタテイメントとして仕上げていますので、皆さんには楽しく読んでもらえればと思います。

では皆さま、まだ厳しい寒中の折、ご自愛を。

垣根涼介

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