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Vol.073
不完全な社会に生きる私たち−−。
『信長の原理』文庫版、発売。

2020年9月21日

どうもご無沙汰しています。

さて、9月24日に文庫版『信長の原理』(上・下:各740円税別)が、書店にて発売になります。まあ、私が何を思ってこの本を書いたのかは、以前の単行本発売の時に述べましたから、ここで再び説明する必要もないですかね(苦笑)。

ところで、この文章を書いている今(2020年の9月下旬)、日本では新しい総理が生まれ、アメリカでは11月に新大統領が誕生する予定です。

私は常々、「自分の中に今ある常識や、考え方は果たして正しいのか?」と疑う一方で、国体なり組織のシステムなどにも、自分なりの反証を繰り返す傾向が強い人間です。当然、書く小説にも、システムの矛盾に喘ぐ人々だったり、カウンターカルチャー的な思考文化が、色濃く出ていると感じています。

それでもこんな時期には、「まだ、どっかの国に生まれるより、この国に生まれて、はるかに幸せだった」と思えるのです。日本やアメリカでは、時の首相(候補)をいくら悪しざまに言っても、逮捕されませんからね。つくづく言論の自由というもののありがたさを感じます。

私は、民主主義社会と資本主義経済こそが完全無欠なシステムだと思ったことはありませんが、それでも現状の形態の中では、これに代わりうる統治システムはないと感じています。

一説によると、歴代アメリカ大統領の約半数は「重度の精神疾患」を抱えたまま大統領になったとも言われております。それでもアメリカは建国以来(まあ、これもネイティブアメリカンの土地を分捕って「俺の土地だ!」と言ったことが始まりですが……)、世界でも稀な繁栄を謳歌し続けてきました。

簡単に言えば、もし愚者が大統領になっても、統治システムがそれなりに機能するような国の仕組みになっている。どこかの時点で、その愚者の振る舞いにストッパーがかかるようになっている。

単行本の時に書いた言葉を引用します。
「私たちがいま住む世界についての理解は、もともと不完全であり、完全な社会などは到達不可能なのだ。ならば、私たちは次善のもので良しとせねばならない。それは、不完全な社会ではあるが、それでも限りなく改善していくことはできる社会である」
これが、『信長の原理』で反証として書きたかったことです。

私もまた、その不完全な社会の、さらに不完全な人間の一人です。自分の来し方を振り返った時、その言動のあまりの愚かさ加減に、そのうち「愚人日記」という小説を書こうかと思っているくらいです(笑)。

仕事に関しても、以前から言っている『涅槃』は二年以上も書き続け、原稿量1500枚ほどになったのに、未だに脱稿していません。おかげで『涅槃』の単行本より、『信長の原理』の文庫のほうが先に出るという、間抜けな始末です。

しかし他方で、そんな自覚もあるからこそ、未だに小説なんぞを書き続けていられるのだとも感じます。
人間、自分を疑わなくなったら終わりでしょう。
今よりマシな自分になることも、今よりマシな世界の捉え方をすることも叶いません。
自分の感覚を仕事に落とし込むような仕事をしている人間なら、なおさらのような気がします。世の中のいったい誰が、自分の観念や存在意義を疑ったこともないような人間の文章を読みたいだろうか、と感じるのです。

では今回は、まあそんな感じで。

垣根涼介

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