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Vol.075
腕の骨を折りました(笑)。
『極楽征夷大将軍』(文藝春秋)、5月11日発売。

2023年5月2日

皆さん、どうもご無沙汰しています。

さて、過日に腕の骨を折りました。
ちょうど連載原終了の直後で、多少疲れておりましたが、気分転換にと、海っぺりまで散歩に出かけたのが運の尽きでした。

とある石段の上に立った時、一瞬ふらっとして、気づいた時には完全に足がもつれていました。そして「このまま石段を転げ落ちたら大変なことになる」と思い、咄嗟の判断で、逆に思い切って飛びました。石段の一番真下まで飛び、両手を石畳の歩道に「べたっ」と突きました。
おかげさまで頭とか胸は大丈夫だったのですが、翌日まで両腕の痛みが引かずに病院に行ったら、案の定、折れていました(汗)。

初診では右肘と左手の骨折、左肘と右手の腱損傷とのことで、両腕のそれぞれを手のひらから肩口近くまでギブスで覆われました。

私は十五年ほど前に離婚して以来、一人暮らしをしておりますが、当然ながら直後からの生活は凄まじく大変なものとなりました。
ちょっと想像してみてください。両手の先が膝下以外の体の部位には、まったく届かないのです。食事もトイレも満足に出来ません。顔も体も洗えませんし、痒くても掻けません。
私は「不自由」という真の意味を、初めて理解しました(笑)。

幸いにも翌週の再度の精密検査の結果、左手の骨折は腱損傷で済んでいたので、お医者さんに強談の末、左腕のギブスだけは外してもらいました。が、この両腕にギブスが嵌められていた三日間の出来事は、今でも鮮明に覚えています。
何をか?

この三日間、両腕ギブスのまま屋外に出ると(たぶん白い両腕を晒して世間を歩いていたせいで、異様に目立ったのでしょう)歩道や交差点などでたまたま居合わせた人々が、とてつもなく親切にしてくれました。
タクシーを代わりに捕まえてくれたり、ギブスからぶら下げたバックから財布を出してくれたり、歩道を渡っている間に信号が赤に変わりそうになると助けてくれたり、扉やボタンを代わりに押してくれたりとか、色んなことがありました。

正直、私はこう思いました。
「えっ、日本人て、こんなに優しかったっけ???」
そうです。私は元来が罰当たりな性格で、世間に謝すること薄く育ってきた人間ですが、この時ほど人の情(なさけ)というものを篤く感じたことはありません。

これ以来、私の世の中を見る目は少し変わりました。
五体満足に戻った今、街を歩いていても、そこに見えるのは以前からの少しよそよそしい人々です。他人、あくまでも行きずりの他人。でもやっぱり、どこかが違って見えますね。そしてその違って見えるぶんだけ、ほっとしたような気分になります。

ところでこの骨折は、去年の夏のことでした。
おかげさまで秋まではまったく仕事が出来ず、年末にようやくリバビリを終え、完全に仕事が復調したのが今年に入ってからでした。まあ、そのような訳で二年半連載を続けてきた「極楽征夷大将軍」の発刊も、遅れに遅れました。
実はこの小説の脱稿直後に、骨を折っていました。

今回の小説の主人公は足利尊氏で、言わずと知れた室町幕府の開祖です。
ですが、「太平記」を読んだ人でも、この人物が一体どういう性格だったか、何を考えていたのかということを、より現代的な視点で理解している方は少ないのではないのでしょうか?

むろん私もその一人で、六、七年ほど前から尊氏の資料を読み始めました。
そして、いろんな資料に当たれば当たるほど、唖然としました。
「よくもまあ、こんな『ふやけ切った』人物が、新たな幕府を開けたものだ」と。
そのやる気の無さ、使命感や覇気の欠如、人としてのだらしなさ、世事における無能さ、いずれも歴史上の人物の中では群を抜いた駄目っぷりです。途中で改心もしません。唯一の取り柄は無責任に人が良いという、その一点のみです。
ここまで徹底して駄目人間だと、もはやあっぱれに感じます(笑)。

しかし、この尊氏という泥人形(どろにんぎょう)こそが、楠木正成や新田義貞、後醍醐天皇などといった同時代の名将傑物を次々と下して、足利幕府を開いたのです。
その人の世の不思議さに、いたく興味をそそられました。
足利尊氏という「愚かさ」純度95%で成り立っている人物を、書いてみたいと思いました。何故なら、私もかなりの純度で愚か者だからです(苦笑)。

そして単行本化に当たり、1700枚あった連載原稿を1350枚まで削って、なんとか一冊の本にまとめることが出来ました。それでも1ページに付き26文字×21行の二段組というビタビタの文字詰まりで、560ページほどあります。昔に出した「ワイルド・ソウル」と同じくらいのボリュームですね。

……実はこの尊氏と話と、先の骨折の折に感じた話には、通底するものがあります。人は何をもって動くのか、みたいな感じですかね? 良かったら読んでみてください。
今年からは年に一作ペースでしばらく本を出すつもりです。

では皆さん、お元気で。
コロナも(法律上は)明けたようですし、今夏は遊びましょう。

垣根涼介

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